2016年8月17日水曜日

子どもの頃の日記

お盆。舞鶴の実家に帰っていました。
 実家に置いたままの昔の自分の荷物を整理しなくちゃ、と思いながら、長年、そのままにしていたのを、要らない物は捨てることにしました。
 小学校の頃からの日記や、その他もろもろ、せんぶ親が、とっておいてくれていました。恥ずかしいから中身を見ないで燃やすことにしました。

 火箸で日記をつまんで、たき火に放り込みます。そのときに、ちらりと見えた1ページ。
“4/1「エイプリルフール」きのうから、お姉ちゃんと、だれをどのようにだまそうか話し合いましたが、決まりませんでした… ”
おっと。続きが気になる。が、燃やしました。

 小学校4年生くらいから中学生くらいまでの、自分で描いたマンガノートも何冊もありました。子どもの頃は、漫画家になりたくて、少女漫画を描いていたですよ…。これは恥ずかしい!極力、中身を見ないで燃やしました。
 なんと、中学生のときに少女漫画雑誌に投稿し、返却された マンガ原稿もありました。恥ずっっっっ!!!これでデビューできると1mmでも思っていたとしたら、ますます恥ずっっっっ!!!間違いなく黒歴史。燃やしました。

 小学校1年生のときの日記があって、これはとっておくことにしました。シマウマの生態の載った学習帳も素敵です。ひらいてみたら、運動会が辛かったことなど、自分でも部分的に覚えている内容もあったり…すでに「吉田静佳」の人格です。姉がいないと生きていけないくらいの“お姉ちゃんっ子”でしたが、実際、当時の日記の内容のほとんどが、姉、姉、姉で埋め尽くされておりました…どんだけ姉のことが好きなんだよ、7歳の私…。
 毎日、私の日記に応えるように母親や、担任の先生のコメントが書かれているのも、優しくて暖かくて、ちょっと涙がでました。

 それから、小学校高学年のときの理科のノートが、自分で言うのもなんですが、美しかったので、燃やせませんでした。実験や観察のときに、スケッチを楽しんでいたとしか思えないノートでした。
 図画工作や美術の授業で描いた絵は、あまり残っていないのですが(学校からコンクールに出したりして返って来ていないのです)、これは私の歴史なので、とっておきます。高校時代のものなどは、いまより上手いんじゃないだろうか…。精進せねば。